気まぐれに更新するよん=w=
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あれからもう13年・・・ほんとに月日がたつのは早いモノだと実感する
当時私は結婚してから初めて迎えた年だったこともあり、なかなか忘れることができない
一度寝るとなかなか目覚めない程の私が、夜明け前に不思議な地鳴りを感じて目覚めた
時計を見てもまだ朝の5時半頃だった
こんな時間に飛行機が飛んでいるでもないだろうが、隣町の小さな飛行場からセスナが飛んだか、自衛隊のヘリでも飛んでいるのかと、思わず外を見ずにはいられなかった
身を起こしベッド側の出窓から外をうかがっても、そこにはまだ闇が広がっているだけで何も見えない
それでも不思議な地鳴りは鳴りやまず、たまらず横で未だ夢の中にいる旦那を揺り起こした
旦那は「なんや?こんな時間に」と言いたげに身を起こしたが、異変には気づいていないようだった
その直後・・・
当時私は結婚してから初めて迎えた年だったこともあり、なかなか忘れることができない
一度寝るとなかなか目覚めない程の私が、夜明け前に不思議な地鳴りを感じて目覚めた
時計を見てもまだ朝の5時半頃だった
こんな時間に飛行機が飛んでいるでもないだろうが、隣町の小さな飛行場からセスナが飛んだか、自衛隊のヘリでも飛んでいるのかと、思わず外を見ずにはいられなかった
身を起こしベッド側の出窓から外をうかがっても、そこにはまだ闇が広がっているだけで何も見えない
それでも不思議な地鳴りは鳴りやまず、たまらず横で未だ夢の中にいる旦那を揺り起こした
旦那は「なんや?こんな時間に」と言いたげに身を起こしたが、異変には気づいていないようだった
その直後・・・
ベッドのスプリングが大きくバウンドするほどの揺れに見舞われた
そう、13年前の今日、阪神淡路大震災があった日です
今でも鮮明に甦る記憶です
友人は救援物資(毛布やオムツなど)を車に積み込み、まだ規制がかかる前の神戸の町へ向かいました
私は仕事を休み、家で刻一刻と増えていく死傷者の数を愕然としながら見ていた
電話が通じたのは昼頃
会社の上司が公衆電話から安否の確認をしてきてくれた
後日友人から聞いた現場の惨状は生々しく、とても信じられるものではなかったが、確かめようにも規制がかかっていて、TVで見るニュースくらいしか状況はわからなかった
規制も外れ、爪痕もわずかになっていると思われる神戸へ私が足を踏み入れたのは1年後くらいだったと思う(この辺の記憶は曖昧)
復興の兆しを見せつつも、予想以上にブルーシートをかぶっている家が多く、区画整理に苦労している跡が見て取れた
何があるわけでもないけど、なぜか立ち寄ってしまうメリケン波止場に向かってみて初めて現地の恐怖を想像できた
太い木の根が道路を浸食したように、はめ込んであるコンクリートタイルが不自然に盛り上がっていて、大きな亀裂が歩くのが困難なほどそこかしこにあった
(ま、立ち入り禁止区域だったのを無理矢理入っていったので無理はないが)
大好きだった海岸通りの店は閉店時間が変わったのか、今でも夜がかなり早い
今日 電車で「あの日を教訓にして、防災用品の常備や点検に努めましょう」といったことがアナウンスされた
今でも小さな地震や揺れには過敏に反応してしまうのに
あれだけの恐怖を体験したにもかかわらず私は未だに備蓄をしていない
さすがに家具にはつっかえ棒とかしてるけどね
ダメダメだなぁ
そう、13年前の今日、阪神淡路大震災があった日です
今でも鮮明に甦る記憶です
友人は救援物資(毛布やオムツなど)を車に積み込み、まだ規制がかかる前の神戸の町へ向かいました
私は仕事を休み、家で刻一刻と増えていく死傷者の数を愕然としながら見ていた
電話が通じたのは昼頃
会社の上司が公衆電話から安否の確認をしてきてくれた
後日友人から聞いた現場の惨状は生々しく、とても信じられるものではなかったが、確かめようにも規制がかかっていて、TVで見るニュースくらいしか状況はわからなかった
規制も外れ、爪痕もわずかになっていると思われる神戸へ私が足を踏み入れたのは1年後くらいだったと思う(この辺の記憶は曖昧)
復興の兆しを見せつつも、予想以上にブルーシートをかぶっている家が多く、区画整理に苦労している跡が見て取れた
何があるわけでもないけど、なぜか立ち寄ってしまうメリケン波止場に向かってみて初めて現地の恐怖を想像できた
太い木の根が道路を浸食したように、はめ込んであるコンクリートタイルが不自然に盛り上がっていて、大きな亀裂が歩くのが困難なほどそこかしこにあった
(ま、立ち入り禁止区域だったのを無理矢理入っていったので無理はないが)
大好きだった海岸通りの店は閉店時間が変わったのか、今でも夜がかなり早い
今日 電車で「あの日を教訓にして、防災用品の常備や点検に努めましょう」といったことがアナウンスされた
今でも小さな地震や揺れには過敏に反応してしまうのに
あれだけの恐怖を体験したにもかかわらず私は未だに備蓄をしていない
さすがに家具にはつっかえ棒とかしてるけどね
ダメダメだなぁ
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無題
当時私は高校3年で大学受験から逃げるかのように(ほぼ代ゼミ内定状態)ボランティアに申し込んでバックパックひとつで摂津本山から西宮に入りました。
主に力仕事してたので、日中は暖かかったのですが、体を動かさない夜になると寒くてしょうがなかったというのを覚えています。それなりの装備でいったんだけどね・・・
主に力仕事してたので、日中は暖かかったのですが、体を動かさない夜になると寒くてしょうがなかったというのを覚えています。それなりの装備でいったんだけどね・・・
Re:無題
なんと!@ロ@ノノ
ネヴァはあの現状を見ていたんだねぇ。
真っ先に個人から届いた力と救援物資はかなりのパワーになったことでしょう。
国が介入してからは、現地で腐っていく救援物資の山がニュースでクローズアップされていて、切なかったなぁ。
当時勤めていた会社の子も被害に遭っていて、服とか寄付してたよ。
住居も会社から提供してたなー。
理由はなんであれ、自ら行動を起こせる馬力は、誰にでも備わっているものじゃないだけに頭が下がりますね。
ネヴァはあの現状を見ていたんだねぇ。
真っ先に個人から届いた力と救援物資はかなりのパワーになったことでしょう。
国が介入してからは、現地で腐っていく救援物資の山がニュースでクローズアップされていて、切なかったなぁ。
当時勤めていた会社の子も被害に遭っていて、服とか寄付してたよ。
住居も会社から提供してたなー。
理由はなんであれ、自ら行動を起こせる馬力は、誰にでも備わっているものじゃないだけに頭が下がりますね。
Re:無題
大きな意識はないけど「トラウマ」、まさにこれがそうなんだろうね。
友人のお父さんは枕を持って外へ飛び出して、お母さんに怒られてました。
「上階で寝ている孫を見にいかんか!」ってw
そして友人の妻は、息子の上に覆い被さり守ってた。
肝心の友人は揺れの中思うように歩けず、腕を真横に水平に伸ばし、まるでサーフィンをしてるみたいな格好で揺れ続け、孫を見に来たお父さんから「何遊んでるねん!?」言われたそうですw
地震に免疫のない地域だけに、ショックも大きかったわねー。
友人のお父さんは枕を持って外へ飛び出して、お母さんに怒られてました。
「上階で寝ている孫を見にいかんか!」ってw
そして友人の妻は、息子の上に覆い被さり守ってた。
肝心の友人は揺れの中思うように歩けず、腕を真横に水平に伸ばし、まるでサーフィンをしてるみたいな格好で揺れ続け、孫を見に来たお父さんから「何遊んでるねん!?」言われたそうですw
地震に免疫のない地域だけに、ショックも大きかったわねー。